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2005~2013の記録


by たかいとこすきな よだえもん

忙中閑話>さらば、ブラウン監督

思えば、ブラウン監督来日の時が鮮明に思い出される。JR広島駅に降り立ったブラウンは、上下白のジャージという、とてもラフな格好で、出迎えのファンもなく、報道陣だけが陣取っていた。




山本浩二監督の後を継いだブラウン監督。実際のところ、2005年シーズン終了時点で、万年Bクラスを引き受ける人材は皆無だったのだろう。そこで、ラロッカなど優秀な外国人を紹介し、3Aで優勝経験もある未知数の監督に白羽の矢が立った。

当時、カープファンは“違う何か”を求めていたし、ルーツ監督を彷彿させる青い目の監督が何かを変えてくれると信じていた。実際、ブラウン監督は、キャンプの内容を変え、シーズンに入ってもMLB方式に拘った。それでも、MLB方式が通用しない点は、日本式に変更したことは合点もいく。

しかし、就任3年目の2008年から不可解采配が目立ってきた。例えば、オープン戦では積極的に盗塁を決めていたのに、シーズンに入ると、エンドランに頼るのみ。投手の継投も、どんな試合展開でも先発投手を100球まで投げさせ、チャンスに代打を送らないことがあった。また、先発スタメンも、昨日調子の良かった選手は起用しないなど『なぜ?』という疑問しか残らない試合が続いた。

2009年、投手力は安定したが、極度の貧打に悩まされた。未だ、貧打の原因は定かではないが、走者を得点圏に進める打撃やバントが確実にできなかったことが要因の一つだろう。だが、最大の敗因は、不振のシーボルの代わりに、マクレーンそしてフィリップスを獲得してしまったこと。確かに、ホームランの魅力はあるが、マツタスタジアムという広い球場に必要な人材だったのだろうか?新球場だからこそ、ミート中心で、守備力の高い選手を獲得すべきであった。

ブラウン監督の不可解采配は「観戦記」に嫌というほど記述したので、あえて反芻しない。中国新聞の木村雅俊記者はブラウン監督を指して「熱血漢の頑固者」という表現をしているが、個人的には「空気の読めない裸の王様」という印象だ。

最後に、ブラウン野球は、カープの雰囲気を変えたのは間違いない。選手個々の自由意志に任せ、特に、悩んでいた東出を二塁手として、一本立ちさせた功労者であろう。東出ばかりでなく、前田健、齊藤、篠田、今井と若手を一軍に定着させ、来季への希望を持たせた。

「さらば、ブラウン監督」

唯一の欠点は、日本の緻密な野球の認識できなかったこと。投手力・守備力を軽視し、打撃優先のチームにしてしまったこと。積極盗塁を試みなかったこと。これに尽きる。
by takaitoko | 2009-10-07 19:00 | 広島東洋カープ